150.まほろばのCLIE (2003/07/19)

「遠い明日しか見えない僕と

足下のぬかるみを気に病む君と」

ーさだまさし まほろばよりー


ソニーの新パームPEG-UX50の話題で盛り上がっています。パームコミュニティーの最近の話題をvega21社と二分するほど、ソニーの製品には注目が集まっています。


各サイトのみなさんのご意見を読ませていただいていると、「なかなか良いのだけれども今回は買わない」と断言されているサイト管理者の方が多いのが目立ちます。あと、デザインがどこかに似ているということと、キーボードが期待できないといったところでしょうか。


それとAirHの対応がないということに失望されているようで、次回のマイナーチェンジで対応されれば、購入に踏み切る方も多そうですね。ソニーの発表で言われていたように、今回は電池の持ちを優先してカードスロットを付けなかったということですから、使い勝手より電池の寿命にこだわったということなのでしょう。


デザインにしても、ザウルスと酷似しているという意見はもっともですが、ノートブックパソコンを縮小したらすべてこのような形になってしまうでしょうから、模倣性があると言うよりは必然性であると言えるかもしれません。もちろんザウルスと開発時期が重なっていれば、偶然似てしまったとも言えるでしょう。


一般の消費者にはノートブックパソコンを縮小した形の方が、使い方が分かりやすいと思われます。これまでのパームの形のままでは、いつまでたっても電子手帳の殻は破れないと考えたのかもしれません。


多くのサイトで既に様々な視点からレビューがされていますし、パームボンチで奥の深い考察がなされていて、見事にPEG-UX50のベールが剥がされています。そこで私は、今回の製品の意味について少し考えてみたいと思います。

Handheld Engine(ソニーのTMの様です)と言う少し端臭いネーミングですが、これを採用したことに意義があるのだと思っています。そしてその優位性を示すために、電池寿命を延ばすことが必要だったのです。


このLSIの特徴は、ARMコアーDRAMを1チップに搭載し、DVFM(Dynamic Voltage and Frequency Management)を世界で初めて採用したことにあります。ロジックとDRAMを混載するには、専用の半導体プロセスが必要ですが、今回64Mbと言う大きなメモリーを同一チップ上に搭載したことによって、コストを抑え消費電力を低減することが期待できます。


DVFMは、速度を必要としない時に、クロックを低下させると同時に、電圧も下げるものと思われますが、消費電力にはクロックは1乗でしか効きませんが、電圧は2乗で効きますから低消費電力化には欠かせない手法です。


しかし、クロックを急激に変化させることには回路的な難しさもありますし、同じトランジスター構造で電圧を下げても、トランジションタイムが長くなるため無駄な貫通電流が増えることがありますから、DVFMに関しては今後もソフトウェアも含めた改良が継続的になされていくことと思われます。


さらに、その他の製品にHandheld Engineを採用したときに、その必要なパフォーマンスに応じて電圧やクロックを設定することによって、幅広い機器に適用が可能になり、大量生産により製造原価の低下が期待できるでしょう。携帯電話や電子辞書、携帯AV機器などに、同じLSIを搭載する事を目指しているのかもしれません。


また近い将来、ARMではなくソニー自社製のCPUが搭載されると思われます。そして、今後発展すると期待されているネットワーク端末や情報家電の中枢部を担う、デファクトスタンダードになることを目指しているのではないでしょうか?


汎用コントローラーとして多くの機器に採用できるように、広い範囲のクロックに対応し、メモリーもDRAMによって比較的安く組み込むことが可能で、電圧もアプリケーションによって自由に設定できるようです。


日本は、パソコンの時代はUSにハードとソフト両面で負けたので、情報家電の分野では主導権を取ろうと狙っています。ソニーが目指しているのは、将来のインテルの姿ではないでしょうか?パソコンの時代に成功したのは、すべての製品に同じ部品を供給する、デファクトスタンダードを擁する企業だったのです。パソコンの時代の成功体験は、そう簡単に忘れ去ることはできません。


「デザイン、キーボードの出来、AirHの未対応などは、足下のむかるみのようなものだ。われわれは、そんなことよりもっと将来の夢を追いかけているのだ」という、ソニー首脳の声が聞こえてきそうです。


そう考えると、ザウルスがLinuxに向かっているのも、マイクロソフトの方向を目指しているのでしょうか?いや、シャープは、長い間日本でPDAを発展させてきたという自負がありますから、ザウルスを大切に育てていきたいという気持ちの方が強いように思われます。


しかし、ソニーはどうでしょう。これまでソニーはCLIEに対して、エンターテインメントの新しい実現方法の一つと考えていたように思います。しかし、これからはそれに飽きたらず、ネットワーク時代のコンピューティングを世界制覇するための先兵として、CLIEに力を注いで行くのではないでしょうか?

149.無線LAN修理中 (2003/07/18)

無線LANのUSBアダプターが、パソコンから認識できなくなったため、家でメインに使っているデスクトップパソコンがインターネットに接続できず、しばらくサイトの更新ができませんでした。失礼いたしました。


どうも、ファームウェアが破壊されてしまったみたいで、正しいハードウェアの名前が認識されないようです。今日修理に出したので1-2週間は返って来ないでしょうから、諦めてノートブックパソコンに、PalmTrotterのファイルをすべてコピーして環境を作りました。


まあADSLモデムから直接パソコンにつなげば良いのですが、モデムは2階でパソコンは1階ですからそう簡単にはいかず、そのうち無線LANが修復できるかと思って試行錯誤していたのですが、ついに諦めて修理に出しました。


パソコン関係は、正常に動作しているときは当たり前のように思っていますが、いざ不調になってみると、いつも正常に動いていることが綱渡りのようであったのだと認識することがあります。


しばらく、ノートブックパソコンからの更新になりますので調子が出ませんが、何とか更新して行こうと思います。

148.デジタルカメラの画素数は画質を決定づけるか? (2003/07/13)

アサヒカメラ7月号に「高画素神話に喝!-極小画素デジタルカメラの画質を検証-」という記事が掲載されています。デジタルカメラでは、画素数が多い程画質が良いと考えられていますが、本当に画素数が画質を決定づけるのか実写を元に検証しています。


さらに記事の中で、世間に高画素数=高画質と言う概念を植え付けた張本人が、撮像素子メーカーとデジタルカメラメーカーのどちらであるのか、それぞれのメーカーに対してインタービューを行っています。


まず実写の結果ですが、画素一つ一つの大きさが小さくなればなるほど、画素そのものの性能が低下する為、極小画素を使ったカメラでは、画素数の割には画質が良くないと言うことでした。


つまり、画素数と共に画素一つ当たりの大きさが、画質を決める重要な要素であると言うのです。画質を良くしたければ、大きな画素を数多く搭載した撮像素子を採用した、デジタルカメラにすれば良いという事です。


まあ、当たり前と言えば当たり前なのですが、画素あたりのノイズマージンや、ダイナミックレンジなどと言った要因が、小さくなれば厳しくなると言うのが世の常であると言うことでしょう。フィルムの場合でも、35mmカメラで如何に良いレンズとフィルムを使っても、6x64x5のフォーマットには画質では勝てないのと似ています。


次に記事の中では、撮像素子のメーカーへ、次のような質問をしています。


「何故、あなたの会社では、画質が低下する程の極小画素の撮像素子を作っているのですか?」


その答えは、「画質がどうこうと言うより、微細加工技術が進歩するたびに、素子メーカーとして撮像素子製品のラインナップを増やしているだけで、それをどのように使うかは、デジタルカメラメーカーさんの自由です」、だそうです。


次に、デジタルカメラメーカーに、同じような質問をしています。


「何故、あなたの会社では、画質が低下する程の極小画素の撮像素子を使ったカメラを出すのですか?」


そして今度の答えは、「市場のニーズが、安くてしかも画素数が多いものを要求しているので、小さな画素で多くの画素数を持つ素子を採用するのです」、だそうです。


つまり各メーカーは、画素数が多い=画質が良いと勝手に決めつけているのは消費者であり、我々は消費者の要求に従って作っているだけであると言っている訳です。


それならば、早急に画質を端的に表した指標を、デジタルカメラ業界として提案するべきだと思います。画素数も分かりやすい指標であるから使われてきたのでしょうが、少なくとも画素そのものの性能も含めた指標が欲しいものです。


ところで、銀塩フィルムでは、よく使われている35mmフルサイズの場合、だいたい2000万画素あると言われているようですが、この数字とデジタルカメラの画素数を比較することに、意味があるのでしょうか?


現像された後の金属銀粒子の数を画素数と言っているのでしょうが、乳剤中で重なり合っている粒子も多いと思われます。またフィルムの感度を上げるために乳剤厚く塗布すれば、当然画素数は増えますが、乳剤を厚くすることによって画質が低下する傾向があります。


そもそも画像として見えているのは銀粒子を見ているのではなくて、その隙間を通り抜けてきた光を見ている場合もありますから、画素が平面的にきれいに並べられた撮像素子とは状況が違います。単純にフィルムとデジタルカメラの画素数と比較するのは、あまり意味がない様に思われます。


評価基準を決めるのには確かに難しい部分があります。CPUの速度も、クロック周波数だけでは分からないように、画質を評価するのもそう簡単なことではなさそうです。


例えば、画素数より解像力等の画質を直接表現し得る表現の方が、安心してカメラの性能が比較できるような気がするのですが、如何でしょうか?

147.一番難しい会話 (2003/07/11)

皆さんは、外国語の会話でどのような状況での会話が、一番難しいと思われますか?


会話のシチュエーションには様々な状況があります。テレビの英会話番組などでは、様々な日常の会話のケースを設定して、その場面に応じた会話を練習するようになっています。旅行中に必要なホテルでの会話や、道の尋ね方買い物の会話病院での会話など。


でも本当に難しい会話は、英会話番組ではやってくれません。おそらく、先生の説明ではカバーしきれないほど難解な会話がなされているからです。


よく子供の会話は難しいと言われますが、それは言葉として難しいのではなくて、何を言っているのか解からないから難しいのです。日本語でも、幼い子供たちの会話は大体の意味は分かっても、正確には分からない事が多いのですが、それは言葉そのものが正確でない為です。


さて、本当に難しい会話は何かと言えば、昼食時の雑談です。これはめちゃくちゃ難しい


もちろん相手が日本人向けに質問してくれたり、こちらのペースで話してくれる場合は別ですが(それはもはや雑談とは言わない)、複数のアメリカ人が普通の会話をしているところに、一人で割って話しの中に入れるとしたらネイティブ以外の何者でもなく、特に昼食の雑談の類いは、もっとも難解な会話の一つであると思うのです。


なぜ難しいかと言うと、話題が多様であり、テンポが速く、文化的背景の知識が必要であり、結論がどこに向かっていくか予想できず、みんないい加減思い付きでしゃべっているからです。


大人になってから20年間、USに住み続けた中国系の人でさえ、時々意味が分からない事があると言っていました。スラングや文化や歴史や政治家やタレントの名前など、聞いても分からない単語がてんこもり。


まあ、長島監督と聞いた時に、日本人が思い浮かべるのと同じ事を連想できるアメリカ人が居るでしょうか?


その国に生きてきた人の、文化や歴史を理解するのは簡単ではありませんが、お互いを理解し合えるようになる為には、必要な事かもしれません。

146.つばぜり合い (2003/07/11)

今回のテーマは、少し汚い話しになるかも知れません。(とわざわざ断る時は必ず汚い話しです。)皆さんの周りの人で、しゃべる時に唾を飛ばす人はいますでしょうか?必死になってしゃべり出すと、しぶきのように飛んでくる人もいるかも知れません。


もちろんこれは、しゃべり方によるのですが、話す言語によっても異なってくるように思います。このように感じたのは、USにいた時に何度かあった、白熱した議論が展開された時です。


日本では、どうも見ても唾のしぶきの3度や4度、掛かってきそうな勢いでまくし立てているのですが、一向に飛んでこないのです。いや、不思議でした。いくら発音の中に、飛んできそうな強いアクセントがあろうとも、飛んでこないのです。


それから、アメリカ人と話すたびに気を付けていたのですが、どうも言語自体に唾が飛びにくい秘訣があるように思いました。


日本語は、ほとんどの音が音節でできていて、子音の後に必ず母音がある為、口の中のどこかを破裂して子音を出した後に、息を吐きながら母音を発生するので、飛びやすいのではないかと思ったりしていますが、良く分かりません。


中国に旅行で行った時、中国人の唾の飛ばし方のすごさに参った事があります。本当にしぶき状態になる事もありました。中国人同士が言い争いを始めると、端から見ていてもすごいしぶきが飛んでいる事が分かりました。正に、つばぜり合いです。


まあ、フランス語などはいかにも少ない様に思えますが、スペイン語やイタリア語は日本語並みかなと思ったりしています。言語学者の方に、是非研究して頂いて、つばぜり合いに決着を付けてもらいたいものです。「つばきで解かる正しい発音練習」なんて言う本が書けるかもしれませんよ。


ところで、タイトルの「つばぜり合い」、別に唾を飛ばし合うのではなくて、戦いの時、刀の鍔(つば)を迫り合うほど激しく戦う事を言うのだそうです。


でも、互いに唾を飛ばしながら言い争いしている姿も、それらしいとは思いませんか?