asahi.comに、「修繕費は貸手の責任 敷金訴訟で最高裁」という記事が掲載されています。今年7月の神戸地裁での判決に続いて、最高裁でも同様の判決が出たことは喜ばしいことです。
しかし、どちらも逆転判決であると言うことが、まだ日本の司法においては、敷金訴訟について統一した見解がなされていないことを物語っています。
退出時に敷金が貸主によって強制的に取り上げられてしまうと言う、ある種の恐怖感が賃貸契約には付きまといます。「どうせ取られてしまうものだから仕方がない」と諦める人も多いかもしれませんが、同じようにきれいに使用していたつもりの部屋の改修費が、貸主によって異なっていたのでは、いつまで経っても健全な賃貸住宅の市場が形成されません。
その結果として、不動産は怪しいものだという認識が、蔓延ってしまうのではないでしょうか。
敷金に関しては、全国でいくつもの訴訟が起こされているそうですが、賃貸契約と言う、もっとも人々の生活に密着した社会の営みにおいて、筋の通らないことが何ら改善されずに放置されてきたのは残念なことです。
特に今回の訴訟の被告は、大阪住宅供給公社でした。大量の賃貸住宅を、公の立場で提供するところでさえこのような問題を抱えていますから、民間の不動産業者ではさらに悲惨な状況が起こっているかもしれません。
神戸地裁の判決に関してのPalmTrotterの雑記にも書いていますが、USでは契約書そのものに、州の法律で敷金(デポジット)に関する条件が書かれていることがあります。借主が自然な汚れや経年変化に対しての補修を負担しなければならないとすると、毎月一定額の賃料を徴収することに矛盾が生じてくるのです。
今回の判決では、借主の具体的な負担が明示され認識されていれば、敷金からの補填が可能だとされています。今こそ、賃貸住宅業界で統一した具体的な基準を明確にするべきでしょう。
例えば、「壁紙の汚れは借主の負担とする」などといった曖昧なものではなく、「壁紙に油性ペンでの落書きは×」とか、「画鋲の穴は何ミリを何個まではOK」といったような、客観的に判断できるような基準を設けるべきでしょう。
今回の最高裁の判断によって、敷金に関するトラブルが減少していく事を、期待したいと思います。