少し前の「416.車内迷惑十傑 (2004/11/26)」の雑談で、混雑した電車の中で迷惑なものを取り上げたことがありました。狭い場所では周りに発散される全てのものが、近くにいる人には迷惑になり得ると言う話だったのですが、その中の話し声について最近思うことがあるのです。
皆さんは「会話における話し声」と、「携帯電話で通話中の話し声」のどちらが周りに迷惑であるとお考えですか?あるいはどちらをよりうるさいと感じますか?
よく通話は会話の片方しか聞こえない不自然な会話であるため、通常の会話より不快感が増すと言われます。しかし、二人で会話している場合でも、一方の声だけが聞こえて相手の声が聞こえないことがあります。
電車の中で、さっきから大声で携帯電話を使っている人がいるなと思って振り返ってみると、電話で通話していたのではなく、大声の人が小声の相手と会話していたなんてことがあったりします。
では、その時あなたは、小声で会話する人にもっと大声で会話して欲しいと思うでしょうか?「そんな小声で話すから、携帯電話を使っているのと勘違いしてしまいました。もっと会話らしく相手と同じ大きさの声で話してください。」 と。できれば小声の人はそのままで、大声の人に静かになってもらったほうがより快適になるでしょうね。
私が利用する電車では携帯電話での通話が制限されていますが、相変わらず多くの人が携帯電話で通話しています。大声で通話していて離れていても迷惑だと感じることもありますし、小声で話されていて近くにいても通話中であることに気付かないこともあります。
携帯電話で小声の通話をするより、大声を撒き散らす会話の方がより迷惑なのではないでしょうか?確かに携帯電話で話す人の声は大声になりやすいの傾向はありますが、「携帯電話の通話」であろうが「人と人との会話」であろうが、大声はうるさいものなのです。
それならば、電車で制限するのは携帯電話であるか会話であるかに関わらず、「大きな声」を制限するべきでしょう。
もし小声の通話が迷惑でないとしたら、混雑した車内での小声での携帯電話の使用を禁止する理由はありませんし、電車で携帯電話を使いたくてもこれまで我慢してきた多くの人たちには、小声での通話が認められればそれに越したことはありません。
ただし、心臓ペースメーカーの誤動作を防ぐ意味での携帯電話禁止に関しては、特定の場所では通話やメールの制限ではなく電源オフが求められていますから、これはこれで徹底的に守られるべきでしょう。
電車内での携帯電話による通話の制限がなくなれば、いつでもどこでも着信・発信ができる携帯電話本来の機能を生かすことができます。マナーを守りながら携帯電話を有効に利用することは、将来のユビキタス・コンピューティングにもつながっていくのではないでしょうか?
音っとっと様、コメントをありがとうございます。日本では知らない人の中では、旅の恥はかきすて的な考えがあるのでしょう。その反面知っている人には見栄を張ったりします。マナーが定着しにくいがために、ルールで制限をしなければならないのかも知れません。
この手の話にばかり反応していますが、激しく同意です。
逆に言えば周りの迷惑に気を使わない(気がつかない)人があまりに多くて使用を制限するしかなくなったのでしょう。
これに関しては、老若男女関係なしに迷惑な人が多いですね。