28.薄いコーヒーとお茶の出がらし (2003/03/01)

USでアパートを借りて、すぐにしなければならないのは電気、ガス、水道、電話の契約などですが、それと同時にケーブルテレビの契約もしなければなりません。(別になくとも良いのですが、USに着くと情報から隔離されるのはつらいので、新聞とテレビは必ず契約したくなります。)



もちろんアンテナを上げて地上波だけで暮らしている人もいるのですが、一般にはケーブルテレビの契約をする人が多いようです。



都会では、日本からの放送もいくつかあるようですが、田舎の町で日本人があまり多く住んでいないところでは、日本語放送はありません。ですから、英語が分かりづらくても、現地の放送を見ることになります。それはそれなりに面白いのですが、ケーブルテレビでは日本でもそうでしょうが、チャンネルがやたらと多いのです。



チャンネルが多いと、選択肢が増えて自分が見たくなるような放送が同時にいくつもあるような気がしますが、そうでもなくてなかなか気に入った番組を探すのは一苦労です。似たような番組が延々と続く40チャンネルぐらいを一通りスキャンして、やっぱりさっきの26チャンネルにしようと戻ってみると、すでに時間がたってしまっていて違う番組になっていたりします。



ですから、数が多く代わり映えのしない番組の中をかき分けかき分け、探しまくるわけです。つまりチャンネルが多いけれど内容が薄い、ここまでが”薄いコーヒー"の話です。



情報の質と量の充実をしないで情報バスを太くしていけば、段々と情報が薄いものになって行きます。コーヒーなら香りがあるうちなら良いのですが、限度を超すと飲めないほどまずいものになってきます。



さて、いつものようにチャンネルをスキャンしていると、ノイズの走った画面から
ボソボソと日本語が聞こえてきます。”いの~ち~みじ~かし”、、、、絶句しました。志村喬の"生きる"ではないですか!



やってくれましたクラシック・チャンネル。いったいUSで誰が見るんでしょうか?私はさすがに日本語が恋しくて見ましたよ!、10分ぐらいは。でも、あまりにも、雰囲気が違いすぎて(解っていただけますか?)、それ以上見ることはできませんでした。



あるいは、かつては人気のあった映画を、週に何度も繰り返し放送するのです。例えば、最新のスーパーマンをこれでもかこれでもかと繰り返されると、何か安っぽいものに見えてきて、価値がなくなっていくような気がします。これは、お茶の出がらしの話です。



このような映画を放送する事ができると言うことは、多チャンネルだからこそだとは思いますが、逆にそれだけ放送するコンテンツがないからだとも言えます。



インターネットもどんどん帯域が増えてきていますが、情報(コンテンツ)の充実が本当は、大切なのではないでしょうか?