先日のZireの話で思うのですが、Zireが歳末セールで一番売れたと言うことは、確かに安い価格が理由の一つであると思います。日本でも、m100が4900円だったときは、ベストセラーといえるほどかは別にして、結構店頭で売れているように見受けられました。
古い技術、枯れた技術は、安く作れるから、価格も安い。これは、当然として、日本では枯れた技術で作られた製品を我慢して使うから、お金をたくさん出さないと言う理屈があるような気がします。つまり、低スペックに対する我慢代と言うことです。
一方米国では、安い理由は安く作れるからで、低スペックに満足したから買うのだ。つまり我慢して安いのを買うのではなく、自分が必要な性能を満たしている製品の中で、一番買いやすい物を買うを言う考え方をしているのではないかと、最近思います。
他人の目を気にしないから、平気で古い物を持つことができるのかもしれません。米国では、ペンタックスやミノルタのマニュアル・フォーカスの、日本では15年ぐらい前の製品が、まだ現役で(中古でなく)売られていたりする事があります。
日本的に見ると、どう見ても時代遅れと言った製品を新品として買っているのです。時代遅れと言われても気にしないだけなのかもしれませんし、ひょっとして古さに魅力を感じているのではないかと思うことさえあります。
小さな町の博物館に行くと、おじいさんの古時計に出てくるような、100年たった時計みたいな物があって、それを見に来た人は、”オーベリーオールド!!”などと叫びながら感激していたりします。
3・4世代遡れば、開拓者の先祖に辿り着く国では、100年もたった物は十分古いと言え、それなりの価値を持つとしたら、わざと古いスペックのものを、古さがいいと言って買っていく人もいるのかなと想像してしまいます。
それとも、古いか新しいかに関係なく、ただ単に値段が安いから買うのでしょうか?この辺のUSの価値観について、未だに良く理解できないのであります。