480.ニッポン放送争奪戦1: オールナイトニッポン (2005/03/11)

ライブドアフジテレビによる、ニッポン放送の争奪戦の行方が注目されています。単なるマネーゲームと言う見方をする人もいるようですが、事の重要さはそれだけに留まりません。


海外資本によるM&Aリスク国内企業の資本提携のねじれ株式市場の制度の欠点法整備の遅れなど、多くの問題を一気に表面化させたと言えるでしょう。


さらに、メディアとしてのテレビに、インターネットが真っ向から挑戦している点も見逃すことができません。日本における将来のメディアのあり方を変える可能性があるだけに、社会に及ぼす影響が一番大きいかもしれません。


今回ニッポン放送が対象にされたのは、フジテレビとの株の持ち合いによってねじれた資本関係にあったためとされています。しかし、1970年代を知る者にとっては、ニッポン放送は特別な意味を持っています。


1970年と言えば大阪万博が開催された年です。FM放送が開始されたのもその頃でした。まだラジオがメディアとして大きな力を持っていた時代でした。


今ならNHKでさえ、深夜までテレビ番組を放送していますが、その頃は23時になればロダンの「考える人」をバックに君が代が流れて放送終了でした。他の民放も1時ごろには終了していました。その後はラジオの深夜放送が唯一のメディアだったのです。


オールナイトニッポンは、その当時の深夜放送の御三家と言われたセイヤング(文化放送)やパックインミュージック(TBS)と共に人気を集め、多くの地方ラジオ局でも中継されていました。


特に70年当時のオールナイトニッポンの人気はすさまじく、DJに糸居五郎今仁哲夫、そして亀渕昭信を擁していた時代が、その最盛期であったことは疑う余地がありません。


ペンネームを使ってリクエストカードをラジオ局に送ることが、若者のひとつのファッションになっていたのです。DJの今仁哲夫氏にリクエストカードを送るのに、住所も放送局名も書かずに「東京 テツ」だけで届いたと言うのは、今や伝説と言えるでしょう。


ニッポン放送は、当時から糸居氏が「50時間マラソンジョッキー」に挑戦したり、まだ知名度のなかったホンダの新型車(ホンダクーペ)を使って全国をキャラバン隊で廻ったりと、何かと注目を集めていた放送局でした。


かつてオールナイトニッポンのDJであった亀渕氏が社長になったニッポン放送は、今度は新しい時代をリードするインターネット企業によって話題の中心に引っ張り出されています。世間の注目を集めるのは、ニッポン放送の伝統なのかも知れません。

479.三年目の確定申告書作成コーナ (2005/03/10)

今年も確定申告の季節がやってまいりました。もう既に申告された方も多いかと思いますが、各地方に設置された相談所も盛況なようです。


確かに税金の話は込み入った内容も多く、医療控除や住宅融資控除などの決まりきった手続きのものばかりではありませんから、相談してみないと一体どう手続きをしたらよいのか見当も付かないケースも多いようです。


以前税務署に言った時に私の前で相談をされていた方の場合は、かなり複雑なお話のようでした。何でも昨年相続したのだが別の親族の生前贈与も一昨年に行っており、それに年金の支給と農業収入がどうのこうのと、、まあほとんど人生相談に近いものを感じました。


このような場合は、確かに税務署員がケースに応じて対応していかなければなりませんから、税金の相談所が混んでしまうのも仕方がない事でしょう。


ですから、なおさら書類を揃えればすぐ提出できる医療控除や住宅融資控除などを、迅速に手間を掛けずに処理する必要があります。


そこで、国税庁のホームページにある「確定申告書作成コーナー」に期待がかかるのですが、今年のできばえは如何だったでしょうか?


一昨年はひどいものでした。鳴り物入りで登場して、いろいろなところで宣伝されていましたから、なおさらそのできのひどさに落胆したものです。


サーバーの能力不足からか全く使い物にならず、数時間経ってもレスポンスが帰ってこない有様でした。全国規模である時期に一斉にアクセスされるシステムですから、予想を上回るトランザクションに沈黙するしかなかったようです。


昨年はどうだったかと言うと、これまた悲惨な結果でした。全国で10人の人が同時に印刷をしようとすると、別の人が入力した結果が印刷されてしまったようです。


如何にも想定外の事態が起こってしまったのならまだしも、全国規模のシステムで10人が同時に使っただけで問題を起こすシステムも困ったものですが、今年は改善されたのでしょうか?


国税庁ホームページから確定申告特集ページを開くと、確定申告書作成コーナーが登場します。以前のようにプリンターの設定にむやみに凝っていることもなく、全く普通に(初めて)使うことができました。


最後までデータを保存することができないので、住所や口座データの入力あたりでは多少の不安を感じますが、一度で最終的な申告書作成までたどり着くことができました。


当然と言えば当然の結果ですが、過去2年があまりのにもお粗末だったので、無事終わった時はさすがにうれしくなりました。


正に「三度目の正直」とはこのことでしょうか? 来年当たりはそろそろオンライン申請を期待したところですが、びっくりするようなトラブルが無いようにお願いしたいものです。

478.最近の話題から (2005/03/09)

しばらくサイトの更新が途絶えておりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか? 2月の末に1週間程寝込んでしまった上に、その後体調がすぐれなかったためご無沙汰をいたしました。


39度程の高熱が出ましたし、体のだるさも尋常ではなかったためインフルエンザの検査をしたのですが、A型もB型も検出されませんでした。


確かに会社でインフルエンザの予防接種を受けていますから、そう簡単にインフルエンザにかかっては困るのですが、しかし、インフルエンザでもないのにこのような高熱がでる病気があるというのも、それはそれで厄介です。何か新種の病気にでもなったのではないかと心配になってしまいました。


最近の話題といえばソニーの経営陣の交代でしょう。次期社長は、顧客の目線での物づくりが欠けていたと言われています。確かにソニーがCLIEで展開した、どちらに向かうでもない商品作りの姿勢には、問題があったのかも知れません。


キーデバイスにはこれまで以上に力を注いでいくようですが、先進技術に自らが溺れる事なく、顧客が本当に望む製品にキーデバイスを行かしていくことが出来るかが問われています。


さて、今週末に東京でパームOSユーザーズミーティングが開催されます。CLIEの日本市場からの撤退のニュースの後にも関わらず、多くの参加者を集め盛大に開催されるようです。


パームユーザーの底力を見せつける、すばらしいミーティングになることを期待しております。


ところで、多くのブログサイトでも苦慮されておられるトラックバックスパム。いろいろな対策も検討してみたのですが、トラックバック自体に対する若干の不安も感じるため、トラックバックをデフォルトで受け付けないようにすることにいたしました。


ブログの特長のひとつを失うことは少し残念ですが、また状況が変わった時に対応を考えたいと思います。それでは、又ぼちぼち更新していこうと思いますので、よろしくお願いいたします。

477.日本語版パームを振り返る (2005/02/24)

SONYCLIE日本市場から撤退すると言うニュースが日本中を駆け巡り、パーム愛好者の多くの方々が悲しみに打ちひしがれたのも、つい昨日のことのように思い出されます。(ってつい一昨日のことだから!)


来るべき時が来たという反応も多かったのですが、それにしてもショックは隠せない訳です。


いつまでもこのニュースの尾を引いて未練たらしいのも何ですが、かと言ってあっさり話題を変えるのも薄情なような気がします。コンサートが終わって幕が下りた後、アンコールがないからと言って、すぐに拍手をやめてしまうのは少しイヤかなと言ったところでしょうか。


いや、根気良く拍手を続けていれば、ひょっとしてアンコールに応えてくれるかも知れません。同じプレイヤーが登場するかどうかは判りませんが。


思えば、私のパーム生活の始まりはワークパッド30Jでしたから、日本語版パームとともに歩んできたと言えましょう。ワークパッドは、パソコンのデータを手軽に持ち歩くというコンセプトだったと思いますが、パソコンとパームのコラボレーションによる相乗効果が期待通りではなかったために、まずはワークパッドの撤退がありました。


バイザーシリーズも一時は若い女性の間でも人気がありましたが、デザインに頼りすぎた感があったでしょうか。次第に日本での人気が萎んで言ったように思います。


本家のパームは、更にしばらくの間積極的なプロモーションを続けました。しかし、結局日本では、CLIEの怒涛の新製品ラッシュの前にその新規性を失い、日本市場はSONYに託した形で身を引きました。


そしてSONYは、パームOSの日本での唯一のサプライヤーとして安泰であったように見えましたが、結局開発費に見合うだけの売り上げを上げることができなかったのでしょう。


エンターテインメントテクノロジーに重点を置いた今のSONYには、パームを続けていくことに魅力がないのかも知れません。リストラされたいくつかの製品分野の中に、CLIE製品も含まれてしまうことになりました。


さて、パームワンが日本市場から撤退したのは、日本語版ではCLIEに敵わないと考えたからであると言う説があります。


ここから妄想→


2人のライバルが1人の相手に対してアプローチを掛けていたが、あまりのライバルの真剣さについに諦めて、2人の幸せを願って手を引いた。


ところが、それから3年もしない間に別れたって言うじゃない!


やっぱり手を引いておいて良かったと思いながらも、まだ未練が残っているような気もする。


しかしまあ、いずれにしても時が流れているので、お互いあの時と同じ気持ちになるのは難しいだろう。


「あの時君は若かった!」


→ここから現実に戻る


実際は、パーム・ハンドヘルドからスマートフォンに移行したい時期に、携帯電話キャリア移動体通信事業をを牛耳っている日本では、ビジネスモデルが成り立たなかったと言うことが、パームからの撤退の大きな原因だったのでしょう。これは、パームワンにもSONYにも言える事かも知れません。


また妄想→


今は1人きりになった日本の携帯情報端末市場。一度失敗しているから、今度一緒になる人には、すぐに冷めてしまうカッコ良さや愛は求めない。


理想が高いだけではダメ。やはりお金儲けが上手でないと、長くは続かないもの。


素敵なビジネスモデルを引っさげたスマートフォンなら、考えてもいいよ。


→妄想終わり 


(妄想を中性的に書いたため、多少気持ちが悪いところがあったことを、お詫びいたします。)

476.クリエショック再び (2005/02/22)

最近、人並みにスパムの攻撃を受けながら、ゴキブリのようにスリッパで叩いておりました。これではいかんと思い、スパム対策などを講じようとしていた矢先、訪れていた右脳先生のサイトで、いつもの最大フォントで書かれた文字をみて、さすがに唖然といたしました。


「日本語版Palmの火が消える」


ついに来てしまったのですね。


先週、大阪梅田のヨドバシカメラのPDA売り場に参りましたら、また売り場の配置が変わってまして、正面にザウルス、右に回ってクリエ、左にはポケットPC陣営と、きれいに3等分されていました。


そのクリエに関しては、既に在庫切れになっている場合が多くなりましたが、ついに売り場さえもなくなってしまうかと思うと、さすがにさびしいものがあります。


時代の流れと言うものは確かにあります。技術の進歩によって、より良いものに置き換わっていくことはよくあることです。


例えば、カセットテープからMDになり、またメモリーデバイスになるのは、進化したと言えるでしょう。ビデオテープがDVDやHDになったのも同様です。同じ機能をより便利にしていく新しい技術には、古い技術で培った経験が生かされているはずです。


しかし、もしクリエがこのまま消え去ることになれば、日本におけるパームの技術が継承されなくなります。決して長い間とは言えないかも知れませんが、そこには数多くのチャレンジ試行錯誤があったに違いありません。


日本におけるパームが、新しい技術に置き換わることなく消えていかなければならないと言うことは、私たちにとって大きな損失でしょう。


ユビキタスオンデマンドが本格的に実現しようとしている今、パームと言う「手のひらのコンピューター」が消滅する事は、時代の流れに大きく逆行することではないでしょうか?


パームが目指した方向は、決して間違っていなかったと思います。ただ、時期が早すぎたのか? あるいは人間の方が間違った方向を向いているのか?


私は、必ずいつの日か、手のひらサイズのコンピューターが、人々が生活必需品として手放せなくなるようになると思います。そしてそのコンピューターには、パームクリエで残された知恵経験が、生かされることを確信いたします。


まずは第1幕の終了ということでしょうか。